■土がすべての始まり■
田舎暮らしをしていくと、あることに気づいた。都会と田舎の違いはいくつかあるが、その中でも、これが一番違うのではと思えているものが出てきた。それが、「土」である。
一言でいうと、土はすごい。何もしないでも、様々なものが生えてくる。雑草なんて、凄まじいもので、生えないでもいいものの、生えまくりである。
今年は、らっきょう漬けに挑戦し、大量の土付きらっきょうを十キロばかり購入した。らっきょうを漬けるのには、まず土を落として、皮をむかなければならないのだが、それが大変な手間で、途中で投げ出してしまった。米袋に入っていたので、3分の1ぐらいそのまま、放置してしまった。幸い、腐らずに保たれていた。
庭に、土が大量にある。畑という訳ではなかったが、土があれば作物は育つ。あるとき、放置していたらっきょうを、思い立って土に植えた。埋めたといっても良いぐらいの、適当な植え方である。結構残っていたので、一面らっきょう畑となった。とは言え、本当にらっきょうが育つかは半信半疑。半年ほど、部屋でそのままにしていたらっきょうだからだ。
1週間ほど経つか経たないかというとき、土から、らっきょうの芽が出た。小ネギみたいなのが、そこここから、生えてきた。おぉ、なんということか。土に植えた途端、劇的な変化が起こった。土に植えただけで、生き返る。(土に植える、土の中に入れる)このことが、魔法のようだ。土の不思議をただただ感じずにはいられない。らっきょうだけではない、生ごみを庭の土に埋めていた私。知らぬ間に、ジャガイモ、里芋が生えてきた。掘るのが億劫で、ついぞ放置してきたのだが、先日掘ってみたら、びっくり仰天である。ボール一杯ぐらい収穫できた。三十個ぐらいだろうか。十分である。
そうはいうものの、畑をやるにはいささか不真面目である。あたりの人たちは、みな、何かしら畑をやっている。そりゃあ、投げ捨てた生ごみから、里芋三十個も採れるんだから、多少世話をすれば、すごい物があるだろう。
しかし、私はそういうわけでもない。実は、簡単だろう夏野菜を植えてみた。種売場に行ったら、面白くなって、いろいろ買ってみたくなったので、豆やらラディッシュやら、品数は増えてしまった。ナス、キュウリ、ミニトマト、オクラ、シシトウ、ワサビリーフ、インゲン豆、ラディッシュ、ジャガイモ、ネギ、パセリ、サツマイモ、つくね芋、枝豆、金時豆、ブロッコリー、たまねぎ、菜花、レモングラス。今年手がけたのは、こんなものでしょうか。私がやったのは、基本的には何も世話をしないということ。最初だけ、たまに水やりをした。それくらいだ。雑草生え放題。
農薬や化学肥料は、せっかく畑やるなら使いたくない。そう思って、無農薬やらを調べてみると、自然農というのに行き着いた。本をしっかり読むと、奥が深すぎたので、まずは私は、自然農という言葉のインスピレーションから、適当農業を編み出し、自然にほっぽりだし農業をやってみた。それが結構面白く、何もしないとどうなる?っていう観察劇になった。オクラは大盛況、葉物は筋張っており、根菜は繊維がすごく太らず、ネギは消え、ナスは枯れた。自分の畑から採るより、お隣さんからもらう野菜の方が、大きくて美味しいし、大量。皆が口ぐちに、「肥料をやらんと太らん」というのは確かにそう。しかし、肥料の太り方はどこか水風船の様で、家の野菜は、味が凄まじい。恐らくアク。昔の人参が人参臭かったのと同じように、それぞれの野菜が凝縮された味だ。美味しいとは別。少しだけ、自然農の本を紐解くと、雑草は抜かず、根を残して刈る。そうすると、土の微生物は生きて、土は生きるとのこと。ますます、土が気になる。微生物が、草木を分解すると、あれよといううちに、雑草たちは朽ち果てている。それが、土。土は、植物や虫や動物たちが形を変えたものであり、死んでからも生命をやどしているかのようだ。いや、生命を宿す者になるのか。うーむ、やはり土はすごい。そして、都会には、本当に土がない!
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